何かを始めても長続きしない。自分をコントロールできずに自己嫌悪に陥ってしまう。そんな「自律」への葛藤を抱えてはいませんか。
私たちは皆、心の中に荒ぶる獣を飼っています。
自律とは、その獣を殺すことでも、道徳で縛り付けることでもありません。
二宮尊徳が提唱した報徳の精神をもって、内なる獣の野生を受け入れ、共に歩むための終わりなき巡礼です。
私とは、
私以外の全てである。
「自分」とはなんなのか?
たとえば、無の空間にひとり生まれ落ちたとき、
私は存在していると言えるのだろうか?
何かに触れるたび、その反応として新しい私が生まれる。
私以外の何かに触れるたび、私が広がっていく。
その広がりこそが、この世に生まれ落ちた者として最良の喜びではないでしょうか。
What's Kuryudo?
何かを始めても長続きしない。自分をコントロールできずに自己嫌悪に陥ってしまう。
その葛藤の正体は、あなたの心に棲む、剥き出しの野生――「心の獣」です。
栗人は、二宮尊徳が遺した「報徳思想」を現代の生命論として再解釈し、誰もが自らの内なる獣の輪郭をなぞり、調和を保ちながら歩むための「心の巡礼」をサポートします。
自律とは、獣を殺すことでも、道徳の鎖で縛り付けることでもありません。獣の声に耳を傾け、そのエネルギーを生きる力へと変えていく。泥臭くも美しい、あなただけの生命の在り方を取り戻す旅が、ここから始まります。
01 · 心に獣がいる
心の獣とは、私たちの影。まずは、その気配を静かに認めることからすべてが始まる。
02 · 獣の凶暴化
日常の歪みやストレス、焦燥感は、獣を凶暴化させていく。これまで抑え込めていたはずの衝動が、自律の結界を内側から食い破ろうとする。
03 · 獣に飲み込まれる
獣に主導権を渡してしまえば、あなたはあなたでなくなっていく。依存、暴力、他責、自己嫌悪。底無しの闇へ飲み込まれていく。
04 · 獣と向き合う
牙を剥き威嚇する獣がいたのなら、それはあなたの心の反映。一時的な誤魔化しは見透かされてしまう。真っ直ぐに向き合い、時間をかけて宥める必要がある。
05 · 共に生きる
報徳の四柱をもって、獣の野生に知性を与える。同じ歩幅で、共に世界の霧を分けて進む。獣があなたを尊び、あなたが獣を愛するとき、真の自律が完成する。
その醜さ、悲しさ、悔しさ、惨めさも、剥き出しのままに噛み締め、ゆっくりと咀嚼する。孤独の創出から始まる内観の聖地。
肉体が許容できる限界を少しずつ広げていく。肉体に刻まれた確かな実感が、獣との深い共鳴を育む。
自らの身の丈を知り、時間・金銭・エネルギーを注ぐべき境界線を張り巡らせる。その線が調和となり、獣に知性と美しさを与える。
結界から溢れ出した余剰を、見返りを求めず世界へ循環させていく。世界を慈しむ時、獣はあなたを尊び、徳をもって報いる。